2003年12月15日 29回目の結婚記念日。

12月20日 10月10日に何度か目のぎっくり腰をやり、97年から乗っていた日産ステージアが乗り込むにも腰痛に堪えるし、運転姿勢も腰に悪いこともあり、この日日産プレサージュに乗り換えました。

12月21日 娘夫婦と孫(7ヶ月)が来て、早目のクリスマス。べたべたのジジババ。

12月23日 B-Teamと謙遜する楽しい仲間たちの忘年会(=偶然妻の誕生日)で楽しいひと時。50インチの大画面でホームシアターを楽しみながら持ち寄りの料理と酒で気勢を上げました。私の作ったパスタは茹でる際にシオをつかむ手先が狂い、中東の死海の水のようになってしまいしょっぱい作品になってしまいました。

12月25日 某、荻窪での恒例の忘年会。往年の名アーチャーやその2世を含む誠に気の置けない和やかな会で盛り上がりました。これをもって我が家の忘年会は終わりました。

12月26日 新車を転がし、大阪に帰省。大変具合の良い車で、申し分なし。

12月31日 今年も終わりと言うときに、2年近く吹田市の病院で寝たきりだった岳父が危篤に。

2004年1月1日 岳父が永眠、享年85歳。合掌。3日に通夜、4日告別式。

2月8日 青梅インドアに妻と参加。Robinはかろうじて入賞し饅頭をゲットしましたが、妻は不調で着外。

2月21日 東京インドアオープン第1部に夫婦で出場。ともどもこの大会出場歴のワースト記録。

2月22日 連日の試合だったが、千葉県佐倉Fでの公認試合に参加。私はまたまた生涯記録を引き下げる不出来。妻は片方145点と自己タイで、全日本申請点を285とし、秋の社会人まで安泰。

2月29日 花の山の東京都F。夫婦とも点数は思い出せないくらい低レベル。

3月4日 妻が体調に異変をきたし、緊急入院。

3月27日 現在は危険な状態は脱したものの入院治療中。

大分元気は回復しここ数日顕著に症状も回復が認められるものの、じっくりあせらず養生と訓練をして生活も、ゆくゆくは弓も復帰を目指して頑張るつもりです。励ましをかけてくださった多くの仲間の皆さんの声が回復を早めて下さったと感謝しています。ベットの上でゴムチューブでシャドーを少し始めています。私は弓は2月29日の試合からうっていませんが、素引きを数十回位したものの、正月来改善しない右手首外側の腱鞘炎の按配が悪く、又気持ちも弓どころではなかったというのが正直なところで暫く休業です。
3月30・31日 妻が初めての試験外泊で帰宅。訪れた10ヶ月になる孫を抱いて、さらに回復に拍車をかけたのではと思うほど喜んでいた。31日には妻の勧めで共に桜の花びらが舞い込む世田谷の砧レンジに出かけ、1時間ちょっと練習しました。丁度一月ぶりのShootingでしたが弓を弯いてこんな気持ちの良いのは久しぶりです。

4月1日 月が替わりました。昨日初めての1泊の試験外泊をして回復・退院への手ごたえを感じました。今日は面会を解禁された初日で、いつも支えていただいた弓の仲間が大勢お見舞いに駆けつけてくださいました。3週間前には途方にくれていたのが嘘のような明るい会話と笑い声で一杯でした。ただただ感謝するばかりで、リハビリに励んで秋の社会人には夫婦で復帰していつもの仲間とわいわい言いながら回りたいと願っています。
プロフィールのページの写真は、仲間が撮ってくれたもので、ベッドサイドにずっと貼ってあります。ずいぶん力を与えてくれました。