@-archery.comのHPにあった表彰状の記事を読んで思い出し、探してみました。

これが今までにもらった表彰状で一番しゃれたものです。少し前まで住いの壁にかかっていましたが、どこかと探したら前回の引越し(10年前)の際のダンボールの中に盾やメダル・写真と一緒にはいっていました。

世界大会(第25回1969年:米国バレーフフォージ)の帰途、サンディエゴでの友好親善試合(横浜市=サンディエゴが姉妹都市)でもらったものです。3rd Aug.24、1969とプレートにあります。NAAラウンド60・50・40Yard各30射、)9・7・5・3・1点で、810点満点。今のFITA900の前身です。後にも先にもこのラウンドをうったのはこのときだけ。
ずっしりとした木の枠に陶製のプレートがはまっています。試合後の夜の豪華なバンケットで授与されました。
この表彰状=プレート=にまつわる余話
1969年はまだ全日本アーチェリー連盟は発足したばかりでお金がほとんどなかった時期。
世界大会遠征費は1人70万円。選手8人役員2名で700万円は全額自己負担。当時スカG(若い人は知らないかな?日産スカイライン2000GTのこと)が80万円、新入社員の年収が60万位ですから、よほど金持ちでなければ出せるわけがない。
総額800万円の半分をヤマハの川上源一さんがポーンと出してくださったそうです。後に2001年に開いたこの世界大会の同窓会で聞いた話で、そのときは思わず絶句してしまった。当時の400万円と言えば現在価値で少なく見積もっても2500万円。
自己負担の35万円は全て親が工面してくれたが、当時部長クラスのボーナスが10万ちょっとと聞いていたので母からは「ホントにあの時は大変だった」と今でも言われます。

試合はFITAダブルラウンドで4日間288射の試合でしたが、選手団は高柳監督と高橋マネージャー(ヤマハ=故人)選手8名で今では考えられない、なんと25日間の大旅行でした。
NY・ナイアガラ・グランドキャニオン・ラスベガス・ロス=ディズニー・サンディエゴ・ハワイとアメリカ縦断旅行をして見聞を広めさせてもらった事は1$=360¥という事を抜きにしても海外旅行が極めて貴重な体験で、当時の社会情勢からして大きなインパクトがありました。

2年間夢見て挑戦した日々、世界大会そのもの、そしてその後の人生から得たものはここには書ききれないほどたくさんあります。
KidsやJuniorや大学生に(勿論、熟年でも)弓に挑戦する人にその意味を語り、問いかける時この事を抜きには語ることは出来ない。

今は時代が違うと言えばそれまでだが、Archeryに人生を賭ける=Archery is my life.=といえばオーバーだと思われるかもしれないが、自分にとってのアーチェリーとのかかわりを考える時に忘れられない貴重な経験でした。

ちなみに、2位の表彰状=盾=はチームメイトの栄ちゃんの家の壁に36年間かかっているそうです。

以上、サンディエゴの表彰状(盾)から思い出した余話でした。