下の記事を書いてから早や1年、’04年6月30日は太一さんの一周忌でした。
自分でもこのページを見るとまだ「大介なにしとんねん、早よ射たんかい」と話しかけられるような気がして。
35年前の青春の熱い血の滾りは彼の思い出とともに消える事は無いでしょう。
木下太一さん逝く   合掌
1969年の第25回世界選手権代表にして、1973年第15回全日本選手権大会チャンピオンの木下太一さんが6月30日に永眠されました。誰もが敬愛した素晴らしき友が安らかに眠られる事を祈るばかりです。
世界選手権で同室させていただいた心やさしき先輩、母校の監督としてまた、日本のアーチェリーの発展に貢献された太一さんの56年の人生は、アーチェリーを抜きにしてありえない私にとって大きな道標でありました。ここに追悼の気持ちを込めて思い出の写真を捧げます。
左)2001年11月マスターズ大会in静岡での元気なシューティング。
上)同じ大会での薫夫人との睦まじいショット。
左)1969年の第25回世界選手権の派遣チームの同窓会を2002年7月6〜7日に熱海で開催しました。全員が揃って会ったのは33年ぶりでした。ここでお会いしたのが最後でした。
8月16日 大阪府下光明池で、故木下太一さんの四十九日法要が催されました。
なみはや国体の時のマルチ的をバックにした遺影が
「どや、ちゃんとひいとるか」と語りかけてくるようでした。
東京から来られた前田栄一郎さん始め、大阪の弓の仲間も多く、ご遺族とともに面倒見のよかった太一さんを偲びました。