再び45歳以上のアーチャーが世界を目指す事の意味を語ってみよう
’02年4月、全日本アーチェリー連盟は、JOCゴールドプランに基づく海外派遣選手選考基準を採択、発表しました。

1.最終選考会に結果に基づき総合的に判断し、別途選考委員会を開催し、選手・役員を
  選考
2.最終選考会終了時の結果に基づき、2004年のアテネに繋がる選手を選考
3.個人は8位入賞、団体はメダルを狙うためには、チームワークがとれて競い合える選手を主
  体として選考
4.最終選考会では、マッチ戦に強い選手が残れる競技方法を採用
5.45歳以上の選手は最終結果の上位1位に入らなければ選考対象外とする

以上がその内容ですが、JOCゴールドプランとは要約すれば、2004年アテネだけでなく、2008年の北京までを視野に入れ、メダルを獲得する事をめざしており、全ア連はこの意向を受けてこの基準を作成したとあります。JOCの釜山アジア大会派遣選手の基準にも色々書かれていますが省略します。

さて、上記選考基準の第5の項目が今、大きな議論を呼んでいます。
一つはこの基準を採択されるに至ったプロセス。
今一つは、45歳という線引きがアーチェリーという我が、そして我が友や仲間が愛して止まないスポーツの持つ特性に果たして叶っているのかと言う点です。

ここは、議論を展開する場とは考えていませんので、私が55歳となった今もアーチェリーと言うスポーツを楽しみ、例えヤマハカップでLast Tar getで射とうと、絶対に手放そうとしないもの−−トップへの挑戦−−への思いを語りたいと思います。今日はその第一夜としたいと思います。

私がアーチェリーを始めたのは1966年、末田選手が全日本選手権で1161点の日本新記録を出し、3度目の優勝を飾られた年です。大学一年の私は駒沢第2球技場でその末田さんの看的をしており、その瞬間を目のあたりにしました。それが日本チャンピオン・世界大会を目指す夢を、漠然とした夢から確かな目標に変え、実現させてくれたきっかけとなる強烈な体験でした。それから36年、Fieldも含め色々な楽しみ方をし、後進の指導も含めずっとアーチェリーが心の中心を占めていました。

そして、50歳が近づいたある日、次のような大好きな言葉に出会いました。

+ 歳を取るには不幸などと考える必要は全く無い。
  何歳になっても向上心と目的を持ちつづける限り、喜びが尽きる事は無い。
  私をXXXに駆り立てるのはそれだ。

  「もう無理だ、こんなことやれっこない。」と考える人がいたらどうか聞いてくれ。
  「私にも出来たのだ、あなたにだってやれない訳が無いじゃないか。

  夢見る事を諦めてはいけないよ。いくつになっても星に願いをかけようではないか。
  「夢が叶いますように」と。

  人間が若くいられるのは、ほんの一瞬の事に過ぎない。若さがいつも勝つとは
  限らない。

さてこの「私をXXXに駆り立てるのはそれだ。」のXXXに入るのはなんでしょう?
私はこれをアーチェリーと置き換えて読んでいますが、これは45歳でボクシングヘビー級タイトルを奪還したジョージ・フォアマンの言葉で、XXXは「リング」が正解です。

エド・エライアソンは53歳で全米選手権初優勝、その後も国家代表として世界のトップを占め、その人柄をもって我々にも勇気を与えました。

アーチェリーというスポーツの本質を見失っては夢も将来も有りません。これから歳の事を言うのは慎もうと決心していますが、私よりお若い方は、XXの冷や水などと茶化さないで下さい!
                                                 2002年11月12日記
アテネでの山本博選手の銀メダルの快挙。アーチェリーというスポーツの本質を日本の各界や、また世界に向けて証明したのではないでしょうか。
代表選手のいくつかの選考基準も、より多くのアーチャーの納得の行くよりクリアーなものにしていくべきだと考えています。最終的には諸々勘案して連盟が決めるんだからというのは権限は有るにせよ、目標に向かって頑張る多くの人にははっきりしないハードルのように感じます。アテネの時のように「あれ?もう私にはチャンスはないの?」という感のないプログラムを早く公にする必要があるのではないでしょうか。
夫々の人生をかけて挑戦している多くの人がいることを念頭において。  2004年9月3日記