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チームの歴史
学校より古いこだま野球部の歴史
 1951年(昭和26)向河原子ども会ができると同時に野球部ができる。 当時は、夏休みに小学生対象の「子ども会野球大会」と中学生対象の「防犯野球大会」が開かれていたので、 この大会に参加するため野球部がつくられた。
 ちなみに、この年の子ども会野球大会は御幸公園で行われ、向河原は2回戦で敗退。 1954年(昭和29)、下沼部小学校が開校。この時、向河原商栄会からバックネットがプレゼントされた。 このバックネットはいまも残り、野球部員だけではなく、下沼部小学校の子どもたちに欠かせない遊び場になっている。
 当時の全川崎市の大会では、二度の優勝経験がある。また、一時期リトルリーグのチームが作られたことも。 このチームは玉川(ぎょくせん)小学校で練習していたが、1964年(昭和39年)にはとりやめられた。
 その後、1972年(昭和47)には、川崎市が政令指定都市になって区制がしかれたため、 子ども会活動の地域割も変わり、チームが分裂するなどの危機もあった。 しかし、向河原こだま野球部はさまざまな障害にもまけず、今年(2004年)で創部53年目をむかえる。
 現在のユニフォームは、チームにとって4代目になるデザイン。 ジャンパーと共に2001年に新調された。向河原こだま野球部OBは、なんと400人をこえる。
チームの愛称が「こだま」なのはなぜ?
 東海道本線に特急「こだま」が登場したとき、その人気にあやかってつけられたらしい。
 1958年(昭和33)に登場した日本初の電車特急「こだま」号は、東京〜大阪間を日本最速の6時間50分で走れる夢の乗り物だった。 「東京・大阪間を1日で行って帰ってくることができる」ことから、山びこ=つまり「こだま」と名づけられたという。 東海道新幹線ができた1964(昭和39年)に新幹線の愛称としてうけつがれ、現在にいたる。


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